それからの麻さんはほんとうにすごかった。すごすぎた。いきなり本を五冊ばかり買い込んだかと思えば古本屋で十冊買い足し、その状態でCDを物色して試聴しまくって「良いのなかった」と言い放ち、小さな雑貨屋をみつけては騒いで大荷物にもかかわらずガラス細工みたいなのとかを買い、更に服屋を五軒ほど巡って、っていうのを三時間でやってのけた。しかも、歩いて帰ると言い張ってきかなかった。タクシー拾おうぜ、麻さん。あなた金あるでしょ。 「どんだけはしゃいでんですか……」 「いつぶりだと思ってんの、こんなに騒ぐの!買い込むに決まってんじゃん!やっぱり通販よりこっちのほうが楽しいね!」 言いながら麻さんは鞄を漁るけど、なかなか鍵は出てこない。 「……麻さん、落としてないっすよね?」 「そのはず!ていうか荷物多い!出てこない!あけてー!」 「はいはい。おかえり、麻」 ……………え? 「サキ?」 「……アニキ?」 ……………………え?! 「ちょ、買い込みすぎでしょ麻ちゃん。なにやってんのー」 「だって買い物楽しすぎたんだもんさー」 「まあ良いんだけど。アクティブな麻も可愛いし」 「サキ気色悪いー。ていうかなんでいんのー?」 「なあ、」 「三時間ほど前までうじうじしてた弟の背中押してたから、ついで。どんな風に収まったのかなーと思って」 「なに、あたしを外に連れ出すのもサキ的には計画の中に入ってたわけ?」 「そゆこと。麻も外でた方が良いと思うんだけど、俺がやるのもあれじゃん?ヒキコモリな彼女ってのもおいしいし」 「おい、」 「なんだそれ。ほんとに気持ち悪いよサキ。……そーかあ、柊かっこよかったと思ったのに、あれは気のせいだったのか」 「……柊お前麻に何言われてくれちゃってんの。柊の癖に生意気なんだよ」 「……とりあえず、中入らね?」 ようやく、口がはさめた……。なんだこいつら、玄関先で漫才するんじゃねえよ。つうかなんで逢沢柾とサキさんが同一人物なんだよ。麻さんは「熱くてやさしくて、頭の上がらないひと」とか言ってたけど、そんなん絶対間違いだ…… 部屋に入ると、麻さんがいつものように飲み物を淹れてくれる。すこし甘いコーヒー。いつもより丁寧な淹れ方をしているのは気のせいだろうか。 そのコーヒーを手に、アニキと麻さんはベッドに、俺は普通に椅子に座る。一息ついて、俺は口を開いた。 「で?アニキとサキさんが同一人物なのはわかった。計画って何?」 俺が尋ねると、アニキと麻さんは顔を見合わせてにまーっと笑う。 ……いやだ、やっぱり聞きたくない。激しく嫌な予感がする…… 「俺と麻、結婚するから。そのために、麻を俺の家族に面白おかしく紹介しようぜって計画」 「……ちょっと待てそれアニキがサキさんで麻さんの彼氏でもあるとそういうことか。やっぱりそういうことなんだな?」 「ていうか大分前から、なんで気づかないのかなーって思ってたんだよね。家に来るのは一人だけ、って気づいときながらサキと彼氏を別存在で考えてるんだもん」 「なんだお前。だせえなー」 「うるせえ。で、どういう計画だ」 尋ねなおすと、アニキは長くなるぞ、と前置きをして話し始めた。 「まず、お袋に買出しのバイトをさせる。お袋の家の周囲に案内を貼って、他の人は断り続ければいい。連絡先は仕事用ケータイにしとけば、そこから俺が首謀者だってばれないしさ。 で、お袋を柊と遭遇させる。そしたら絶対お前は麻の存在に興味を持つから、偵察に行くだろ。そこで家の中に誘い込む。 あとの流れはまあ知ってるとおりだ。麻にお前の傷えぐらせて、俺が立ち直らせてやろうっていう。ついでに麻の存在をこれでもかというほど認識させてやろうっていう。それが、麻と俺の計画。 そんでもって、俺としては麻がお前の傷をえぐると同時に自分の傷もえぐられるのは見えてたことだから、ついでにお前を使って麻も更生させてやろうという、そういう計画だったわけ。麻はそれを玄関先で聞いてきてたわけだな」 そこまで話して、アニキは一旦言葉を切る。そして、今までのふざけた表情が嘘のように、真剣な顔をした。 「柊。俺は確かにお前には無理って言ったよ。だけど、人ってのは変われる生き物だろう?俺はそれに期待した、だからキツイ言い方したんだ。お前は、自分に才能がある、って心のどこかで信じてる。そんなんじゃ駄目だ。才能あってもなくても、本気で書かなくちゃ」 アニキの言葉は俺に突き刺さる。アニキが小説に対して本気なのを、俺は身をもって知っているから。ひとつひとつ、言葉の重みが圧倒的に違うのだ。 でも、視線はアニキから逸らさないように。これだけは意地だった。今度こそ、逃げない。ちゃんと向きあう。 そんな俺を見て、アニキはなんとなく優しい目つきになった。ぽん、と俺の頭に手を置いて言う。 お前、本いっぱい読んでるから、筋は良いよ。頑張れ。 「応」 はっきり返事をしてみせると、アニキは照れたように目をそらす。 なんだかんだ、こういうところがいいアニキなのだ、この人は。 「麻、お前も」 アニキが麻さんの髪を梳きながら言うと、麻さんはふっと笑う。少女のような、老婦人のような、いつにもまして不思議な表情。 「わかってるよ。柊が教えてくれたから。……ゆっくりしかできないけど、諦めてね」 「十分だ」 アニキもまた笑顔になって、なんだかくすぐったいような雰囲気が流れる。自分のアニキが恋人といちゃついてるのって気色悪い……って、 「あーーーーー!!!」 やばい、肝心なところに突っ込み忘れていた! 「なんだよ結婚って!初耳!さらっと流すな!」 「えーいいじゃんもうあたしたち大人だよ?」 「麻さんはちょっと黙っててください!話が進まない!」 「てめえ麻になんて口きいてんだよ!もしかしてあれか、麻に惚れてたとかそういう展開か?!」 「嘘!ごめん柊気づかなかったわあたし……!」 「アニキ死んどけ。麻さんもノらないでいいです!」 柊、アニキが真面目な声になる。アニキは麻さんと肩を組んで 、 「そういうことだから、応援よろしく」 ああ、もう。そういう顔をされたら、アニキとはいえ、協力してやりたくなるじゃないか。 「はいはい」 そう答えると、麻さんがはにかんで俺の頭をぐしゃぐしゃにする。柊かわいーとか呟いているのが聞こえた。視界はふさがっているけれど、二人の様子は手に取るようにわかる。 またアニキ怒ってるんだろうなあ。麻さんはきっと実の姉貴みたいに笑ってる。 なんとなく、これから頑張れるような気がした。俺がどんな風であっても、この二人なら見守ってくれるように思えて。 「あー!柊のコーヒー冷めちゃってるよ!淹れなおしてくるね。」 麻さんは俺のカップを手にとって、キッチンへ駆けて行く。振り向きざま、俺に向かって囁いた。 「ありがと」 俺も麻さんもこれから変わる。変わっていく。ゆっくりのんびり、自分のペースで。見守ってくれる人がいるから、それでも俺たちは大丈夫だ。 「家、帰ろっかなあ……」 自然と、言葉が溢れた。
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