スローリー/2

 

ピィーンポォーン……

 チャイムを押した途端にぱたぱたと足音がして、ドアが開いた。

「いらっしゃい」

 ふわりとした幼い笑顔と共に麻さんが出てきて、俺を部屋の中に招き入れてくれる。奥へ進んで、いつものようにざっと室内を観察する。ほんの少しの違和感。

 違和感の正体はすぐにみつかった。まだ昼過ぎなのに、シンクに水滴とふたつのティーカップ。そういえば麻さんはいつもの部屋着じゃなくてロングスカートをはいている。この前通販で届いた、黒くて、一番いいやつ。それでわかった。

「今日サキさん来てたんスね」

「うん、打ち合わせー。もうすぐ締め切りでさー」

 『ゲーム』が始まってからもう三ヶ月ほどがたった。最初は麻さんが本気なのかすらわからず、そもそもゲームが本当にあるのかから疑っていたのだが、今ではもう余裕で家捜しできるくらいまでに成長した。調査の景品に麻さんの教えてくれる『良いこと』は、『あの本は本当はこんな目的でこんな書かれ方をしたものだ』とか、『こういう話は案外詐欺じゃないことが多いから乗ってみるといい』とかくだらないことばかりなのに、今でもまだまだハマっている。

 最近は麻さんのペンネームと彼氏(自分じゃ買わなさそうなのに、麻さんぴったしの指輪が大切にされていたので存在が発覚)の人柄を調査中、だ。本棚とか写真とか漁ってるけど、全然わからない。

 サキさんというのも調査の過程で発見された人物で、麻さんの編集者。麻さんいわく、相当な読書量を誇り、舌戦に強く、でも熱くてやさしくて、頭の上がらないひと、らしい。

 この部屋を訪れるのは俺をのぞくとサキさんだけだ。麻さんは人が来ると絶対紅茶かコーヒーを出すし、サキさんが来るときは朝御飯用のお皿なんかを絶対に片付けておく。その上、いつもの部屋着スタイルじゃないし、他にもいろいろ癖がある。だから、サキさんが来たときはすぐわかるのだ。

「ほんと、マメな編集さんっスねー。週一は絶対来てますよね?」

「あたしと連絡とる手段、メールか会うかの二択だからね。サキ、電話嫌いだし。メールじゃ追いつかなかったら会うしかないし」

「そんなもんスかねー?アニキなら絶対やんねーけど……」

「なに、柾さんってそんなひとなの?」

 そうっスよ!俺は思わず叫んだ。

 俺の兄である逢沢柾も編集者だ。妙に頭の回転が速くて、意地が悪く、すぐ人を使う。読書量だけはあるから編集に向いているのかもしれないが、サキさんと余りに違うので、いつも不安になる。

「でも、柊の住所、柾さんにだけは教えてるんでしょ?なんだかんだいって信用してるんじゃん」

「それが親の出してきた条件なんスよー。アニキ、ほんと俺以外には良いひとだから……」

 くすりと今度は大人みたいに笑って、麻さんは俺にコーヒーを渡してくれる。珍しいことに麻さんのも俺のもブラックだ。

「面白い兄ちゃんだねえ、あたしにも欲しい。……さて、今日もゲーム開始と行きますか」

「了解です」

 言うと、俺も麻さんもそれぞれの世界に入っていく。麻さんは原稿作りに。そういや、さっき修羅場と言っていたっけか。一方俺は、麻さんの断片探し。彼氏、ペンネーム、いっそのことサキさんの正体でも良いや、なにかしら、みつけてやる。

「麻さん!みつけましたよ!」

 俺が探し始めて、一時間くらいたっただろうか。俺はようやく、麻さんのペンネームを発見した。

「うなー、何見つけたのー」

 ごろおんとベッドにひっくり返りながら、こっちを見る。どーせくだらないことだろー、といわんばかりの目をしているので、勝ち誇るように俺はばん、と雑誌を広げてみせた。文芸情報誌みたいなやつの、一〇八ページ。二ページの短い記事だが、確かに麻さんの写真がついている。

「ペンネーム!麻さん、『矢崎絆』っていうんスねー」

「な、なぜわかった……!」

「矢崎さんの本、結構冊数多いのに全巻揃ってるんスよ。でも、読まれた形跡がないんですよね。それで気になって書庫漁ってたら、矢崎さんの記事が載ってる雑誌がいっぱいあって。順番に見てったら、ビンゴ、というわけです。まだまだ甘いっスね、麻さん」

「……ばれたかー」

 言って、麻さんは自分の写真をばしばし叩く。

「写真でてるとか忘れてるし!自分の本とか開いたらハズいじゃん!なにそれ!ヒントにしないでよね!」

 でかいことをみつけられるとほとんどヒステリーになるのもいつものことだ。追い討ちをかけるように、俺はにんまりと笑う。

「で?今回は麻さん何教えてくれるんスか?」

「……ペンネームの由来」

 麻さんは諦めたように笑って言う。手を打ちましょう、俺はますますにっかりと笑って麻さんを促した。

「ヤザキキズナって、エンドウアサと全然関係ないっすよね?」

「んー、まあぱっと見はねー。でも共通点つくってある。エンドウアサって縁遠い朝っていう感じにもとれるでしょ?それに気づいてね、ペンネームもなんか意味があると良いなあって。そんで、ヤザキキズナ。やさしい絆、それかやさしい傷、ね。ヤザキとヤサシって音似てるからさ」

 やさしいキズナとキズがあるお話を書いてみせる、っていうこと。

 今度の麻さんが浮かべるのは、とってもやさしい笑顔。それだけ麻さんは小説がすきだということで、

「羨ましい、そういうの……」

「何が?」

 ぼんやりと麻さんに尋ねられて、口から出ていたことに気づく。苦笑しながら俺は言う。

「小説が、そこまですきだということが、羨ましいんです。……俺には無理だから」

「……」

 笑ってうまく切り返してくれると思っていたのに、麻さんは静かに顔を引きつらせた。

「どうかしましたか?」

「……ごめん、わかっちゃったよ」

 悲しそうに麻さんは笑う。その目は、俺じゃないどこかを見つめている。普通じゃない空気を感じて、俺は思わず一歩後ろに下がった。麻さんは言った。

「柊はさ、小説家になりたかったんだね」

        *

 本を読むのが大好きで、大好きで、大好きで。学校から帰って、友達とちょっと遊んだら、ずっと本を読んでいた。自然と、小説家になりたくなった。ずっと、本と接していられるから。

 でも、小説を書いてみたら、すぐ、俺には無理なんだとわかった。面白いのが書けたと思っても誰かの小説にそっくりだったし、オリジナルだ、と言い切れる話はちっとも面白くなかった。

 でも、うまくなるかもしれない。そう思って書き続けてた小説をアニキに見せたら、「お前には無理だ」、速攻で言われた。そのときもうアニキは編集者で、小説を見る目は確かだった。アニキが更に何か言いそうな気配がしたから、俺は逃げ出した。

 俺は、アニキに何を言われても受け止められるくらい、小説がすきではなかった。俺は逃げ出した。それに気づいて、愕然とした。

 だから、諦めた。小説家になること。俺は、小説にちゃんと向きあえない。単なる自己満足。だったら、やめてしまえ。

        *

「……そうっスよ」

 やけになったように、小さく答えた。それでも、麻さんは静かに問うてくる。目はそらしたままで。

「本、だいすきだもんね」

「そうっスよ」

「でも、諦めちゃったんだね」

「そうっスよ!」

 思わず叫んだ。そのまま何かをまくしたてようとして、すんでのところで我に返った。謝ろうとして口を開いたけど、

「でてって」

 傷ついたような、後悔しているような、なんとも言えない表情。

「もう、一緒にはいられない。柊のいちばんやわらかいところを知っちゃったから。あたしはそんなに強くないの」

 『ゲーム』は、終わりだよ。

 その言葉が引き金だった。俺と麻さんは、もともと『ゲーム』でつながってるだけだから。

 この空気に耐え切れなくなって、俺は麻さんの部屋を出た。

「ごめんね」

 麻さんが呟いたのが聞こえた気がした。

 

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