血≠吸血鬼

 

「うげぇ………せ、先輩の悪魔っ! 鬼ぃ!」

べちゃりと血を地面に吐き出し、僕はずるずると壁にもたれかかると、腕を組んでどーんと仁王立ちをしてる先輩をにらみつける。

だが、あの人はどこふく風でまったく悪びれた様子がない。それどころか、まるで奇怪生物でも見るかのような、ちょっと引き気味な視線を僕に送ってきた。

「お前なぁ……、あのさ、いーか? お前はそれでもいちよう吸血鬼なんだよ。お前も、俺も吸血鬼。吸・血・鬼。ヴァンパイア。わかる? 吸血鬼ってのは、血を吸う鬼、って書いて吸血鬼なんだよ。つまり、俺らは人様や、その他生き物の血をもらって生きるの。血ぃ吸わないと死んじゃうの。これ世の常識」

「……だから、何だってんですか、このドSめ………」

「あ? 俺がここまでわかりやすぅ〜く言ってやってるのに、まだわからんの?」

 先輩はお手上げポーズをしてため息を深々とつく。

 はぁーあ、やれやれ〜。

 そんな文字が後ろに見えた。

「だーかーら、お前吸血鬼なんだから血ぐらい飲めよ。どーして今まで生きてたのか俺すっげぇー不思議なんですけど? うりうり」

僕と視線を合わせるように先輩は俗に言うヤンキー座りでしゃがむと何を思ったか、ぐにぃ〜っと僕のほっぺを上下左右縦横無尽にびよんびよんと引き伸ばす。

そうして僕を玩具代わりにしながら先輩は呆れた視線はそのままに首をかしげた。

やられっぱなしもイヤなので、どうにか腕を動かし、ぺちり、と先輩の手を叩いて、そっぽをむく。

悲しきかな、これが今の僕にできる精一杯の抵抗なのです。

……なぜかって?

さっき血を飲まされたせいで吐き気がして頭がぐらんぐらんして力が入らないからだよ。ああ、気持ち悪い。畜生、なんでったって僕が血なんか飲まなきゃいけないんだ……。ああそうか吸血鬼だからか。でも僕は自分の意思で吸血鬼になったわけでもないんだけれど……。

もんもんと僕がそんなことを考える一方、先輩はさっきまで頬をつねっていた手を宙に漂わせ、しばらくそんな僕を見ていたが、やがてため息をついた。

「お前ガキじゃねぇんだから、すねるなって。ほら、飴ちゃんやるから」

 そう言って先輩が取り出したのは真っ赤な昔懐かしのぺろぺろキャンディーだった。

 そう、ぺろぺろキャンディー。

小さい子が嬉々として舐める飴の代名詞。

 …………。

 ………小さい子……が……。

「あの、僕は子ども――がっ?! もぶふが――げほがほっ?!」

 不満があったら口に出して相手にちゃんと伝えましょう。

 小さい頃からそう教えられてきたので、その教えに従って口を開けば問答無用でキャンディーをぐさっと口に突っ込まれた。

「うぉっ?! あっぶなー!」

 で、吐き出す。

 即効吐き出す。即刻吐き出す。

「な……なんですか、この悪趣味キャンディーはっ!」

 そのキャンディーは血の味だった。

 僕が、大々々々々々々々々々………大っっっきらいな血の味だったのだ。

 吸血鬼の反射神経が人より数十倍優れていてよかったと人生で初めて感謝した瞬間。

 先輩は、地面に転がったひびの入った例のキャンディーを拾って肩を竦めた。

「あのなぁ……。これは今、大人気で入手困難を極めてる幼児用ブラッドキャンディーだぞ? それをお前、ありとあらゆるコネを使ってお前の為に買ってきてやったのに……。大人気で入手困難を極めてる幼児用ブラッドキャンディーのために俺、早起きしたってのに……。あーあ。俺傷つくんですけど? めちゃくちゃ傷つくんですけど? ブロークンマイハートなんだけどぉ?」

 先輩が……早起きをしてまで、僕のために……?

 先輩は十四時間が平均睡眠時間だ。座右の銘は「人の睡眠邪魔するヤツは血を吸われて干からびてろ」ってぐらいに睡眠命の人なのだ。

その人が……その人が、僕のために命と同じくらい大切にしている睡眠時間を削った……?

 なんだろう、この無駄な感動は……。

 そして、このものすごい罪悪感は……!

「そ、そうだったんですか、それはすいま……」

 訳のわからない罪悪感に耐え切れずに謝りかけてふと思う。

僕、何か大事なこと見落としてないか?

 ………そう。たしか、幼児用……キャ…ンディー……って……。

 ……………ん?

 ……ようじよう? ……ようじ……幼児?!

「ち、ちょっと先輩? あんた僕のこと何歳児だと思ってるんですか?! そして、そんなとこでコネ使わんで下さいよ!!」

 あんた明らかコネ使うタイミング間違えてるだろそれ!!

 憤慨する僕に先輩はへ? と本当に意味がわからない、という顔をする。ある意味貴重な表情だった。

「何歳って……五歳だろ?」

「…………なわけ」

 力の入らない体を気合で動かし、硬く拳を握りなおす。

「――んなわけあるかあああああ!!! 吸血鬼の年齢でも十五歳じゃぼけぇぇぇぇ!!!」

 僕は快心の一撃を放つがあっさりかわされ向かいの壁が粉々になっただけだった。

「ほーら怒った。だーからお前、ユートに馬鹿にされんだよ。このばーか」

 ぐさっ。

 そんな音をたてて何かがどこかに深々と突き刺さる。

「大体その度、今みたいに街破壊しまくってよぉ……俺ら、隠蔽工作大変なんだぜ? どーしてあんな安っいワンコインでお釣りがくるような挑発にのるんだか。お前今年で十五だっけか? じゃあ人間の歳に換算すりゃもう七十超えてるはずだろ……。五歳児でももうちっと大人だと思うがなぁ」

 心臓がむちゃくちゃイタイのです。

 ぐさぐさと幾百の何かが深々と僕に突き刺さったような気がした。

 ……この人、絶対確信犯だろ。絶対わざとだ。絶対嫌がらせだ。

 痛む右手をポッケに突っ込み、じとーっと先輩を睨む。すると先輩は僕とは正反対の表情をその顔に浮かべた。

「ま、そこらへんの忍耐力はこれからつけさせるとして、だ……」

 にこぉっと、そこら辺の女の子なら一発で落とせるくらい爽やかかつカッコいい笑みを浮かべる先輩。

けれど僕は知っている。よぉーく知っている。

先輩のこの笑みは、実は悪魔だって裸足で逃げ出すほど恐ろしく、どす黒い笑みだということを。

 ちゃぽん、という音をたてて先輩のポケットから現れたそれは、ああ、わかる。何も言わなくてもわかる。

 その赤さは、間違いなく人の血だ。

 僕はぞっとして体を震わせた。

 先輩はその人の血がたぷんたぷんに入ったボトルの蓋を片手で開け、僕の頭をがしっとわし掴んだ。

 もう逃げられない。

 どんどん迫ってくるボトルからはあの鉄の臭いがぷんぷんしてきて、それだけで僕は頭がくらくらして胃がムカムカした。

「まずは血ィ飲めるようにしねぇとなぁ?」

 にっこぉり。

 ドSっけ純度100%の笑顔。

 迫ってくるボトル。

 それでもジタバタともがく僕。

 だが、抵抗も空しく僕の口にボトルが突っ込まれ――あの気持ちの悪い味が口いっぱいに広がり鼻をつん刺激する。

 だんだんと黒く塗りつぶされる視界の中、僕は鉄の臭いに支配されながら二つ確信した。

 一つは先輩は絶対僕を玩具代わりにしてるってこと。

 もう一つは――僕は絶対一人前の吸血鬼にはなれない、ということだ。

 そして僕は、意識をあっさり手放した。

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