走り書き

 

 多分そこは東京だと思う。もしかすると、地球ではないのかもしれないけれど、いや、でも、あれは多分、私が生まれて育った東京だ。今一度少し考えて、試しに唸ってみる。やはり違うか、どうでしょう。あれ、あれ、あれ。

 最初は白いところにいた。そこにただの二本の足で、立っているのだ。
 部屋だと気がつくのには時間がかかった。
 その部屋は白い。白いといっても全部白というわけではない。床一面、液体状の色々のまだら色が蠢き犇き。下を見下ろすと、私の足の指は、見えない。いや指どころか、甲も見えない。むしろ、まだら色の中から肌色の棒が二本、突き出しているように錯覚する。足の平の感覚を感じて。ぬるい、この変な感触は、水彩絵の具のチューブを直接手で触ったときと同じ具合だ。これはきっと水彩絵の具なのだ。けれどこの液の上のほうはガッシュに違いない。混じらないでいて硬くなり、ところどころ固まってヒビが入っているから。
 いやしかし、臭いがいけない。油のあの、つんとした、いやな臭いが、鼻に入ってくる。ずうっと居ては気が悪くなる。吐いてしまおうか、いや、ここを出よう。
 歩きにくい、色々の中を抜けて、掻き分けて進む。どろどろが足の行方を鈍らせても。
 目の前に、白い壁に、埋め込まれた四角い扉。
 取っ手を押してみる。
 強い風がぶつかった。目蓋が閉じる。皮膚全体に感じる。なまあたたかい。生きている。そう何となく思った、私はまた、変だと思われるだろうか。
 目蓋を開ける。目の前に広がる。景色。いや、どこだ、ここは。教室か? どうしてまた。
 そして、ここはどこの教室だ。椅子も机も妙にきっちり並んじゃって。洒落てない。まるで病院のように清潔だ。これは嫌味だ。
 高校か。ここは。私の通っていた、高校か。
 いや、あそこは、いやだ。後悔しか残っていない、あんな教室に、どうしてまた、来てしまうのだ。いや、今、嘘をついてしまった。
 しかし、目の前の、あの机の向こうの大きな窓が。底から見える景色は。ただ綺麗だ。建物何一つ無い。灰色の空だ。灰色の空が重たく浮かんでいる。いや、全部が灰色でない。青いところがまだらにあって。それがまた。
 決して、話をそらしたのではない。
 嗚呼! 規則正しく並べられた机椅子なんて知ったこっちゃない。
 煩い音を立てて、掻き分ける。
 思い切り手を伸ばす。
 大きな窓の枠に、手が届いた。届いた!
 身を乗り出して、飛んだ。飛んだ!
 落ちるのだ。そう。落ちるのだ!
 ちらりと足が見えた。ああ、何て綺麗な足なんだ!!
 足から滴るあらゆる色が、ポタポタと、私の頬を染めていく。足の向こうに見える空は、それはもう、本当に黒に近い灰色だ。でもやはり、足と足の間にわずかながらに見える青が。
 美しい!!
 もう目玉が目蓋から零れそうだよ。液体が溢れて、一緒に空に吸い込まれてしまうよ。嬉しすぎて、何もかも飛び出てしまうよ。目玉も、胃も、肺も、いやもう爪も、一枚残らず。吸い込まれてしまうよ。
 嬉しいんだよ。

 そこで目が覚めたのです。階段から落ちる内容の夢から覚めるのと同じ感覚でした。しかし目覚まし時計のアラームの音で覚めるのとも同じ感覚です。その所謂アラームの音さえなければ、落ちて落ちて、落ちるだけ落ちて、死んでいたかもしれない。しかし起こされました。笑い声に。私は笑っていたのです。
 いやもう、参っちゃって。だって、夢だった。どうしましょう。
 まだ興奮している自分が恥ずかしくって、爪のある手で頬を包むと、まあ熱い! 火照っている!!

 どれだけそうしていただろうか。はっと我に返って、頬から手を離す。頬も手もとっくに冬の寒さに冷え切っていて。あの高揚感はもうすでに無い。そうして次に叫びそうになる。

 忘れた! あれどんな夢を見て、私はこんなに嬉しかったんだ!!

 もう、遅い。

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