クレイジーサボテン・・・最終話・・・

 

「エダニ、これ以上人を傷つけたくないよねえ?」

それはあきらかに奈月に向かって言ったものではなかった。辰巳の瞳が見えない誰かを探しているようにキョロキョロ動く。

けれど辰巳の言葉に帰ってくるものは沈黙だけ。

「はあ・・・、まあ、あの臆病者のことだからそう来ないか」

辰巳はため息をつきながら、なおも空中を見つめる。

「またエダニのせいで一人怪我するんだね、ああ、残念」

ナイフがチラチラと奈月の視界に入ってくる。ピタリの奈月の眼球の目の前でナイフが止まる。視線を奈月に戻す。

「そうだ。どうせ来ない。それじゃあ奈月が可哀相だから、いい事を教えるよ」

「・・・何」

奈月の額から汗が流れる。

辰巳は微笑みながら囁く。

「今も昔も、お前なんて大嫌いなんだよ・・・」

一瞬にして、奈月の中で何かが、音を立てて、崩れた。

「お前とアズさえ友達でなければ良かったんだ。なのに、なんだよあれ。目をなくしてまで、アズはお前と友達で在ろうとする。そんなの間違ってるだろ。本当は許してほしくなかったんだ!

アズは目を無くしたのに。なのに、お前何?

何で地元の中学通ってのうのうと生きてるわけ?アズだって通えたはずの中学に?俺を見ても反省の色ひとつ見せずに、毎日毎日ぃ!」

奈月は気がついた。今までに感じたことのない感情だった。

正気に帰った・・・気がした。

どこかで辰巳に期待をしていた奈月がいた。

どこかで辰巳に安心感をいだく奈月がいた。

どこかで辰巳に心を許していた奈月がいた。

一方的かもしれない。けれど・・・

「・・・何、その目は」

言葉を発しようとしたら、溢れてきそうになる涙。

必死にこらえて言ったら、すごく小さい言葉になった。

「ごめ・・・っい」

必死に堪えて言ったら、何て言っているかわからない言葉になった。

自分が悪いんだって、そんなのずっと前からわかってた。結局自分が悪い。最低だ。

「・・・目が覚めたら家に帰れ。二度と梓に会うなよ」

目の前に映っていたナイフが視界から消えた。咄嗟に行方を捜すとそれを振りかざす辰巳の姿が見えた。

次にナイフの柄の部分が首筋に強くあたる。

「俺はお前なんか許さな────」

奈月は闇に堕ちた。

真っ暗な何処かにいた。

女の人の声が聞こえる。聞き覚えのある、声。

『どーっせ、私は臆病者で、

サボテンに隠居するチキンハートの持ち主ですよーだっ。

ああ、腹立つ。あんな人に言われたくないなあ。もう。

ちょっと傷つきました、って今は愚痴っている暇はないんだったね。

私は言ったよね、危ないって。

貴方は危ない。そう忠告したよ。

でも来た。貴方は梓に会いにきた。

じゃあさ、貴方はこれから──どうする?』

「・・・?」

『よく理解できてないようだね。お願い、時間がないの。

そりゃあ、私の実力をもってすれば梓のお兄さんなんて屈服させるのは簡単よ。でもそれじゃあ意味がないの。またこんな事が繰り返されるの。もういい加減決着をつけなきゃいけないでしょう。

でも決めるのは貴方。

このまま気絶して、目が覚めて、もとの暗い生活を取り戻すか、

もう一度辰巳と対峙して、真実を掴むのか、

・・・決めるのは貴方なんだよ。

だから、奈月ちゃん、貴方はどうしたいの・・・?』

「私・・・は」

『うん』

「私は、もう嫌。自分が嫌い。もういい。疲れた。帰りたいよ・・・」

『はあ、じゃあもう前の生活に戻っちゃう?』

「・・・わかってる。こんなの絶対あとで後悔する。別に最初っから許してもらえるなんて思ってなかったよ。本当に・・・駄目だ。

許してもらえないけど、ちゃんと詫びたいの。謝りたいのに・・・」

『・・・のに?』

「私は貴方と似てるみたい。すごく臆病者で、独りじゃなんにもできない。アズに会うのだって辰巳がいなきゃ、考えもしなかった」

『──臆病者ね。確かに貴方は臆病でチキンハートだわ』

「・・・」

『でもね、奈月ちゃん。貴方は本当は独りじゃない』

「え?」

『貴方がそう思ってるだけで、本当は独りじゃないのよ。まあ、それは起きてからのお楽しみ』

「お楽しみ・・・」

『ほらほら、時間がないわ。早くして!進むか、帰るか?』

そう言う声は何処か楽しそうで。

進めば楽しいことがあるよと誘うようで。

奈月は決意した。・・・進もうと。

そして出来るならば今ここに臆病者奈月は置いていこうと。

「楽しいことがあるなら進む!文句ないでしょう!」

強気な声を出した。ものすごく気分が良い。

突然、目の前に一筋の光が差した。

声の主は笑いながら大声を張り上げた。

声の一言一言に呼応するように光の筋は増えていく。

『よく言ったね!奈月ちゃん!!じゃあ私が貴方の意識を暗闇から引き上げましょう!そして私は目覚めよう。では最後に少し!

残念ながら私は貴方の大きな役には立てないでしょう。けれど!

忘れないで。何が起こっても、貴方は大丈夫。今までの貴方とは違う。逃げなかった!これは大きな未来の変化を意味します!

私はこれでも天使の異名を持つ生き物!貴方に幸福があらんことを祈ろう!では!!』

光の筋はやがて束となり・・・。奈月は意識を取り戻す。

取り戻した直後に微かにだが声が聞こえた気がした。

『それからね、奈月ちゃん。貴方は悪くない、責めるな』

奈月はぐったりとコンクリートの屋上に横たわっていた。

うっすら見えてくる視界。首にある激しい痛みがいち早く奈月の意識を完全にさせた。

視界に入ってきたのは辰巳と汚い夜空だった。

辰巳は今さっきまでとは違う、普段のあの飄々とした目で、奈月を見下ろしていた。それも、どことなく哀しそうに。

奈月はゆっくりと身体を起こした。

辰巳のほうはそれを見てはっとした。目は強張った、先程の瞳。

「ちょっと早くないかな・・・」

「そりゃあ、早く起きられるようにしたんだもの」

突然口が勝手に動いた。誰かの人形になったように、奈月の口が。

驚いた奈月は反射的に手で口を触ってみる。勿論とくに変わったところはない。

それより驚いていたのは辰巳のほうだった。

「お前、サボテンに憑いてたんじゃないのか?」

今度は頬が引きつられて勝手に笑みを作る。

「ええ、最初はね。憑いてたよ。サボテンに。天使モドキは物に憑いていればたとえ同類だろうと姿を見ることが出来ない」

やれやれという仕草をする奈月。だが実際、奈月自身は何がなんだかわからずに焦っていた。

「・・・だからずうっと、時が来るまでお前は隠れていた」

ああ、と言いながら奈月は頷かされた。

「けれど、お前が私を見つけて、居場所がバレてしまったからね。

サボテンに居ては、たとえ姿を現さなくともサボテンごと殺されてしまう。だから、その場に居た奈月に憑かせてもらったよ。私はお前と違って乱暴じゃないんだ。ただそこに憑くだけ、在るだけだ。時間は睡眠時だったし、憑くのは苦ではなかったさ」

奈月は体のほうは放っておいて考えていた。

何かが憑いてる?何が?・・・・・・天使が?気がつかなかった。

『ほら、独りではなかったでしょう』

笑いながら脳内で話しかけてくる。

「エ・・・ダニ?」

『まさしく、私が追われる身の天使、エダニ。数年前、梓との関わりで多数の人間と天使の人生を狂わせた罪人』

あの時の、アズと仲良くしていた、あの天使。

「ふん!その罪人を狩るのが我が宿命。忘れてもらっては困る、俺は心眼の使い。いくら中で話し、逃げ道を探しても無駄なこと!」

『ほら、あれが私を追っていた奴だ。奈月ちゃんも一回会ってるんだよ。誰だかわかる?・・・あのイカれた英語教師だよ』

はっとなって、思い出すあの英語教師。サボテンについて、天使モドキについて、諸々喋っておきながら勝手に立ち去った女。

あれは、あれは、辰巳じゃない。

「イカれたとは無礼な・・・」

そう言いつつもニヤリと笑った様はどことなくあの教師に似ていた。

『いい。天使はね、モノに完全に憑くことができれ場完全にモノに隠れ、姿を気すことが出来るの。あの優れた天使、心眼使いでさえも読むことはできない。読めるのは本当の主の心のみ』

「うん」

辰巳を睨みながら中の声を聞く。

『けれど、自我の強いモノ・・・例えば人間ね。それに完全に憑くには相当の技術が要るわ。今の私では到底無理ね』

「え、でもさっきまで・・・」

『そりゃあ、ただ憑くだけなら誰にでも出来る。けれどその憑いたモノを使って活動するとなると話は別なの。だから今、完全に私は貴方に憑ききれていない。だからアイツは私の心も読むことができるの』

「その通りだよ」

辰巳に憑いた誰かは微笑みながら手にもつ銀のナイフで遊びだした。

「余裕かましてるけどヘルツは大丈夫?貴方もちゃんと憑けてないってことになるんだけど・・・?」

エダニが喋る。辰巳に憑くヘルツという名の天使は目を吊り上げた。

「エダニの分際で我が名を口にするな!俺が今までどんな気持ちでお前を探してきたかわかるまい。それに、だ。コレに俺が完全に憑けきれてないからといって、これという支障はない。

お前に処罰を喰らわしてやればそれで良い。個人的には死刑だな」

エダニは何かを言おうとしたらしいが、奈月の口は開いたまんまで言葉を発することはなかった。

「いいか。エダニ、お前は私が連れて帰って処罰を喰らわしてやる。そのまえに奈月、いいことを教えてあげる。辰巳が先ほど撒き散らしていた言葉だが、あれは本音だよ。私が無理やり言わせたものじゃない。私が探って見つけた言葉だからね」

すると間髪いれずにエダニが反論する。

「それでも言わせたのはお前だろ。どれが本音かなんて本人にしかわからないものさ。心の中にだって嘘はある。

お前はそれを判断できるのか?」

辰巳の目の色が変わった。ヘルツは大声を出して笑い出した。

「くっくくく、ふっ、ははっ!・・・はあ、調子乗るなよ」

辰巳がナイフを振り上げ、奈月にむかって振り下ろした。

間一髪でよけた。ほとんどエダニのおかげだ。

『動きにくいね・・・』

ここで初めてエダニの焦りの色が見えた。

「いいことを教えてやろう!」

また振り下ろす。奈月も一生懸命後方へ下がって避ける。

「俺とコレは目的が一緒だからか・・・」

ナイフで奈月の腹めがけ突く。避ける。

「どうも、相性が良いみたいだ!」

またも振り下ろしたナイフが、風になびかれて避け切れなかった奈月の髪を数センチ切り取る。

「すごく、動きやすい!!」

奈月はとうとう屋上のフェンスにまで来てしまった。後方を塞がれ身動きがとれない。鈍い金属音だけが奈月を支えている。

「ほら、エダニ。もしその奈月という子を守れるなら、出て来い。

そうしたら、傷つく者が一人減るぞ。奈月もコイツを追い出せばいいじゃないか・・・」

しばらくの沈黙の後、エダニが口を開いた。

「別にいいんだよ。追い出してくれてもね」

「?!」

奈月は目を見開いて反論する。

「そんなの駄目でしょ。何を今更・・・」

『奈月ちゃんは私を追い出さないの?』

言葉に詰まったが、それでも迷いはない。

「あっ・・・当たり前でしょう!だって、アズの友達じゃない!」

その時、奈月の正面、辰巳の背後にあった、屋上への出入り口が

大きな音を立てて開いた。辰巳もはっとして振り返る。

中から出てきたのは、

「それから、私は奈月ちゃんの、エダニは奈月ちゃんの友達でもあるよ!」

寝巻き姿のアズだった。

目を見開いてズカズカと辰巳の近くに歩いていく。

危ない気がして思わず叫ぼうとすると、自分の手が口を塞いだ。

『・・・見てて』

小さくつぶやく。アズは辰巳の瞳を見つめて言った。

「バカは出てけ。お兄ちゃん、こんなの間違ってるでしょう?」

辰巳の顔がぞっとしたものになり、強張り、そして足が力を失った。

その場に崩れ落ち、倒れた。

「己、奇異な人間がっ・・・」

そう言うヘルツの声は威勢をなくしていた。

「人は人なの。貴方の駒じゃない。私は私の意見を言ったまでよ」

「ヘルツ!」

今度はエダニが叫んだ。

「心眼の持ち主。・・・姉の私も、ソレを持っているということ、まさか忘れてはいないよね?」

次の瞬間、すごい速度で脳内に映像が広がっていった。

兄弟。エダニとヘルツ。天才の子。兄弟仲の良い子。

年が過ぎてはっきりと分かれていく、才能の良し悪し。

姉は見捨てられ、弟は成長を止めない。身分の差は広がる。

身分は関係ない。仲のいい子。姉は笑う。何時か追いついてみせる。

やがて襲う悲劇。罪人認定その子の姉。

裏切られた子。追いつく前に消えた姉。全てを壊したのは人の子。

笑う二人の人の子、裏切った姉、悲しみ、後に現れるは憎しみ。

罪人は逃げ隠れ、見つからない。

他は諦める。その子は絶対に諦めない。

他の制止も聞かず、その子はずっと探し続ける。

そして見つけた。姉。

もう一度見るとまた逃げていた姉。

探そう。探そう。

モノごと探せば、出てくるよ。

人の子を操り探そう。

今度こそこの手で問いただしてやろう。

そんなにも、

そんなにも、

人とはいいものですか。

だから俺を、

置き去りにしたのですか。

「ああ、人とはいいものだ。とても」

エダニがヘルツに向かって囁いた。

「そうだな。追いつくといっておきながら、私はお前を置き去りにしたんだね。・・・罪人の血縁者か。わかっていたが、何もできなかった」

ヘルツ・・・辰巳の顔があがった。その顔は

「・・・辛かったね。ごめんね、ごめんね、ヘルツ」

泣いていた。奈月の瞳からも涙が落ちていった。エダニの涙。

その時、辰巳の背中から大きな白い翼が見えた。一度大きく羽ばたき、中から黒髪をもった青い瞳の青年がでてきた。

涙を手で擦り取り、青年は空中を舞った。久しぶりに見る天使モドキ。

「奈月ちゃんはもう見えるようになったよね?見えるよね?」

アズが身を乗り出して問いただしてくる。奈月は小さく頷いた。

ヘルツは今度は自らの口を開いた。

「・・・エダニ、貴女はこれからどうするのですか」

「何、ちょっと皆と喋ってから帰るよ。そして罰せられよう」

エダニのほうはまだ出てこようとしない。

「・・・」

ヘルツが顔をしかめる。エダニは笑う。

「大丈夫。もうヘルツを置いていったりしないよ。絶対に。

絶対に、帰ってくるから」

突然、奈月は背中から何かが抜けていく感覚に襲われた。

次の瞬間には昔アズの傍にいた天使が目の前を飛んでいた。

「ああ、長居してごめんね、奈月ちゃん」

振り返って奈月のほうを見たエダニはにっこり微笑んだ。

エダニはまた視線をヘルツに戻して羽ばたき寄った。

そしてヘルツを抱きしめた。

「もう少しだけ、待ってて。もう少しだけ」

ヘルツはもう呆れたように頷いた。

「朝まで待つ。また逃げたら、今度こそ殺すよ」

「うん。ありがとう」

ヘルツは抱擁を解くと一際大きく羽ばたいて、何処かへ行ってしまった。

エダニは辰巳、アズ、奈月をそれぞれ見てから笑った。

「おつかれさま。迷惑かけたね。もう、大丈夫だよ」

数分後、3人はリビングに居た。意識のない辰巳はとても一階まで運べないので、二階の部屋に寝かしてきたあとだった。

奈月とアズは心配になってエダニに辰巳のことを聞いたが、疲れきって寝ているだけなので問題ないと言う。

それから、アズのお婆さんはまだぐっすり寝ているらしいし、ヘルパーの日野さんはとっくの前に帰ってしまっている。

リビングにはたった3人だけがソファにゆったり座っている。

しばらくは時間を忘れ、3人がただ雑談にふけった。

その時は誰もエダニの今後には触れなかった。

ただ、しばらくしてから奈月はあることに思い立った。

エダニは何故そうしてまで此処にいるのか。

アズに用事があるのではないのか。

そう思うや否や奈月はばっと立ち上がった。

二人はきょとんとした顔で奈月を見つめる。

奈月は慌てて

「ごめん。すごく眠くなちゃって・・・」

奈月はそれだけ言うと、エダニは笑った。

「うん。もうこんな時間だからね。・・・奈月ちゃんが起きたとき、もう私はいないと思う。けれど、奈月ちゃん、今日は本当にありがとう。助かったよ」

「!いや、助かったのはこっちだよ」

エダニはまたクスクスと笑った。

「じゃあね、おやすみ」

「おやすみ」

二人が奈月に手を振る。

奈月も挨拶してリビングをあとにする。あとはエダニとアズの時間だと思う。

階段に足をかけたとき、笑いながら話すエダニの声が聞こえた。

『心眼って便利だよね。それから言い忘れていたけど、

前に進んでいくんでしょう?まだ一つ問題が残ってるよ。辰巳君。それ、ちゃんとしておかなきゃ駄目だからね』

奈月は思わず笑いをこぼした。

「・・・わかってるよ、そのくらい」

返事は返ってこなかったが微笑むエダニの顔が見えたような気がした。

「奈月」

今度は鼓膜を通して聞こえた。見上げると二階から辰巳の姿が見えた。

奈月はニッコリ笑ってみせて、それから堂々と言った。

「わかってる。うん、そのくらい、わかってるよ」



オワリ

最後までありがとうございます(@人@;;)

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