眠たい朝、奈月は電車の中に居た。 横には辰巳がヘッドホンで耳を覆って気持ちよさそうに寝ている。 ・・・奈月たちは今、東京へ向かっている。 ただ、まだ東京からは大分離れている上に今の時間帯、人はまったく居ない。乗り継ぎがあと一回あると聞いていたが奈月はどこの駅で降りるかなどは聞いていなかった。 というよりは奈月の耳に入ってこなかった。 最近は常に天使モドキのこととアズのことについて考えていた。
あの時の天使モドキがサボテンに憑いていた奴が同一天使モドキなら、そういうことになった理由でもあるか。多分あるはずだ。 もし理由なんていものがないのならただの馬鹿。 だがその理由も、もう聞けない。 奈月は天使モドキを見れなくなったうえにソレが今何処に居るのかもわからないのだから。 もしかしたらアズのところにいるのかもしれない・・・が、 そもそもアズは自分と会ってくれるのだろうか。会って何になるのだろうか。目が帰ってくるわけでもないのに、今更もう変えようのない事実を安易に受け止めたりするのか。 ・・・そんなわけがない。 咄嗟に奈月は思った。絶対に許すことなんてないと。 もし自分なら絶対に許さない、光を奪った相手など考えたくもないし、会いたくもない。
「じゃあどうすればいいの・・・」 まだ人の少ない電車の中で呟いた。その呟きは電車の騒音に飲み込まれてかき消された。ぐっすり寝ている辰巳の耳にもまたその呟きは入っていなかった。 別に聞いていなくていいんだけど、と奈月は内心は変に安心した。 それと同時に奈月は自分に怒りを覚えた。 もう東京へ、アズの所へ向かっているというのに、自分は全くもって心の準備ができていない。さっきからウジウジと考えてばかりで、怯えてばかりで。 「そんなに悩まなくたっていいんじゃないの」 「?」 驚いて、声のしたほうを、隣の席を見た。ついさっきまで寝ていた辰巳が眉間に皴を寄せてこちらを見ていた。 「アズだとか天使だとか、もう今更だろ」 これには一層驚くことしかできない。 「・・・何で、悩んでるとかって思うわけ?」 しかもアズや天使なんて単語はまだ一度たりとも口にしていないというのに。少しパニックを起こしている奈月に比べて辰巳は眠気眼で淡々と答える。 「顔に書いてあるよ」 「・・・」 なんというか、これには我ながら呆れるしかない。顔に表情はでないほうだと奈月自身で思っていたからだ。そんなことはお構いなしに辰巳は話し続ける。 「そんなもんね、今更ヒステリック起こしてギャアギャア言ったりしない。アズだってもう中学生なんだし、そこらへんの餓鬼と一緒にしないでほしいね」 「・・・はあ」 「まあ天使モドキはとりあえず置いておくのが一番。アズと天使、両方いっぺんに考えるからややこしくなるんだ。今はこれからアズに会いに行くってことだけを考えて、その後はその後」 辰巳は自分でも良いことを言ったと思ったらしく小さく鼻を鳴らす。 辰巳は自分と同い年、アズは二つ下だというのはあの時の事故後に知ったことである。 ──にしても今はアズのことに集中しなくては、何も謝らずにもう数年経ってしまったのだから。もうこれ以上伸ばしてはいけないんだから。 「・・・寝みぃ。あ、此処で乗り換えだから」 いつの間にか混み始めた電車の中を飄々と歩き出す辰巳。 少しすっきりした気分で奈月も後を追った。
東京のド真ん中、超都会の中にある一軒家。 「もうすぐ辰巳君が来ますよ。辰巳君に会うなんて何年ぶりかしらね」 白髪をなびかせた一人の老婆がゆったりとした口調で少女に話しかける。少女は窓辺の揺り椅子に腰掛けて、今にも寝そうな表情で答えた。 「兄さんにはお爺様の三回忌で去年に一度会ってるじゃないですか。 ・・・なのにすごく嬉しそう」 「ええ、嬉しいですとも。何せ貴方と同じ私の孫です。貴方はこちらに来て暮らすと聞いたときに辰巳君も来てくれればそちらのほうが何より良かったのですがね。だからこそ、辰巳君がこうして来てくれるのが幸せに感じるのですよ」 「・・・そっか」 椅子に座った少女の華奢な体がゆらりと揺れた。 その時、部屋の扉が開いた。中から現れたのは若い男の人。 「ああ、また此処に居たんですね!楓さん、もう部屋に帰りましょう。お茶が冷めてしまいますよ」 「え?ああ、お茶ですね。はいはい」 騒がしく急かしてくる男の人に老婆はのんびりと反応する。 男の人に連れられて部屋をあとにする老婆は最後に思い出したように言った。 「ああ、思い出しましたよ。梓。辰巳君は友達を連れてくるといっていましてね。友達とは確か奈月という子です。ふふ、彼女かしらね」 バタン。 扉が閉まり独りになった少女は普段開かない目を思わず開いてしまう。 「・・・奈月・・・ちゃん」
「・・・アズサ?」 「そう。アズの本当の名前はアズサ。梓だ。」 辰巳は東京駅の中を歩きながら説明した。 「知らなかった・・・」 だってアズがアズと言っていたから、てっきりアズというのが名前だと思っていた。 ぼおっとしてると辰巳との距離があく。夏休みだからなのか旅行に行く家族などが東京駅にごったがえしていた。下手したらはぐれそうだ。 先ほどからこんな調子だ。ようやく東京駅につくなり、寝起きとは思いがたい速さで前に進んでいく。 「ああ、もう遅いね!」 奈月が遅れていることに気がついた辰巳が苛立った様子で引き返してきた。そして有無を言わさず奈月の肩掛けバッグの紐を掴んで引っ張り、再度早足で歩き出した。 「っ!」 何の抵抗もできず、奈月はこれから十分程引きずられる羽目になった。
それから約三十分後、奈月と辰巳はとうとう梓の家へ到着した。 それはもう大きな家だった。東京のド真ん中でよくもまあこれだけの土地を確保できたなと関心したくなる。 が、そんなことはもう慣れっこだといわんばかりにインターホン無しでズカズカと敷地に入っていく辰巳。 「はあ、やっぱり生まれが違うわ」 奈月も続いて門をくぐった。 辰巳が家の扉を開けるとすぐに男の人が現れた。 「やあ。一年ぶりだね」 「うん。そうだね。はい、これ土産物。東京名物ね」 「・・・何時も・・・ありがとう」 そう言って東京駅で買った上から読んでも下から読んでものアレを手渡す辰巳。正直突っ込むところなのだが、それも辛いものがある。 苦笑気味に東京名物を受け取ると、男は奈月のほうを見た。 「で、こっちは?彼女?」 「あれ?聞いてなかったの?奈月っていう。同じクラスなんだよね」 男はふうんと言ってニッコリ笑った。 「はじめまして。中野楓さんのヘルパーをしている日野といいます」 「あ、はあ。はじめまして」 曖昧に挨拶する奈月。人懐っこい笑みをうかべる日野はぱっと見て二十歳後半に見えるが、ヘルパーというのだから三十歳はいっているのかもしれない。 「さあ、外は暑い。中へどうぞ」 案内されるがままに二人は屋敷の中へ入る。 辰巳は慣れた様子で靴を脱ぎ向きもそろえずドタバタとあがる。 「俺は先に部屋にいってるから、まあ日野さんと一緒にいて」 「え?あ・・・はあ」 そういうと辰巳は階段を上がっていった。 それから奈月は日野に案内され広いリビングルームへ案内される。リビングの物の配置、装飾、それらがなんとなく昔遊びに行ったアズの家と似ていて懐かしさを覚えた。 キョロキョロと辺りを見回す奈月にソファに腰掛けているようにと日野に言われてぎこちなく座る。 「じゃあ冷たい麦茶でもいれようか」 日野はヘルパーなのにまるで執事のように奈月に対応する。慌てた奈月は立ち上がって 「いや!私も手伝いますよ。というかお気を使わずに・・・」 「え?いや、大丈夫です。構いませんよ」 クスクス笑いながら日野に制される。ヘルパーとかなんとか言っているが、執事みたいだ。 ガチャ。 辰巳が入ってきた。辰巳はこちらを見て 「アズが会いたいってさ」 こうなれば奈落の月がどうのこうのと言っている場合じゃない。 「じゃあ、行かないと」 「上には部屋がいっぱいあるんだ。二階までついていってやろう」 辰巳がすこし急かした。何時もはのんびりだっていうのに、一体どうしたというのだろう。東京駅にいたときもそうだったが少し可笑しい。 「すみません、じゃあ行ってきます」 飲みかけのお茶を一気飲みして日野に謝る。日野は大丈夫ですよと言って二階へ上がるように促した。 多少の不安を抱えながらも二階へ上がる奈月。 一つの部屋の前までくると辰巳が言った。 「俺が仲間で入ると喋りたいことも喋られないだろうから、終わったら下に下りてきなよ」 「え?あ、うん」 そういうと辰巳は先に階段を降りていった。 そして奈月は二回深呼吸をしてノックをして、ドアノブに手をかけ、扉を開けた。 「・・・奈月ちゃん」 開けた途端、奈月の視界に入ったものは何もかもあの時の部屋と一緒だった。大きな窓。立派な机。揺り椅子。その椅子に腰掛ける少女は小柄で黒い長髪をなびかせて、瞳を閉じていた。 「・・・アズ」 泣くかと思った。だって全く昔と変わっていなかった。一瞬すこし成長したアズに昔のアズが重なって・・・ 「会いたかったよお」 そう言った。そう言うアズの閉じた瞳の隙間からは涙が流れて、奈月の頬にも涙がつたった。
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