「っと、いうわけで、散々の夏休みだったわけよ」 「アソー」 二学期、登校日初日。九ちゃんとの会話もそのくらいに奈月は家を出た。 結局夏休み早々に起きたサボテンの事件だが、あの後、此方にもどってきてからというもの、辰巳とは全く会っていない。 何時かの夜、階段で話したっきりだ。 秋になりかけている風が心地いいと感じながら、奈月は通学路の公園を横切った。 そのとき歌う声が聞こえた。 こんな朝からこんな美声が響くなんて可笑しいと思いながらも奈月は辺りを見回した。そして、見つけた。 小学生くらいの男の子がブランコの近くに独り立って歌っていた。 唖然として奈月はしばらく魅入る。 むこうの男の子はそれに気がついたようで、音を止め、奈月のほうを見つめて、小さく手を振った。 奈月も咄嗟に手を振り替えした。 すると男の子はものすごく驚いた表情を見せて、次の瞬間には身を翻して、文字通り飛んでいった。それを見た奈月も思わず息を呑んだ。 「あの子・・・」 背中から生えるソレをみて天使モドキだと知った。
校長の話も終わり、教室の自分の席に座り、ようやく落ち着く。 皆が皆、自分の席に座り、担任教師の今の授業の指示をうける。 あまり聞く気にもなれず、窓辺へ目をやる。 ・・・奈月は目を見開いた。 先程の男の子が微笑みながら窓辺に寄りかかって立っていたのだ。 この男の子が見えるのは、自分だけだ。 けれど、気が気でならない。何せ、夏休みにとんでもないことが起きたばかりなのだ。確かに、あれ以来、また天使モドキが見えるようにはなったが、公園から学校まで着いてきたのだ。これは異常な気がする。 だいたい、天使モドキって人嫌いじゃないの? 「はい、では、きりぃーつ」 皆が立ちだす。奈月も慌ててそれに従う。 「きょーつけ、礼」 皆は乱れ動き、休み時間を楽しみだす。 奈月は再び窓辺に目をやったが、もう男の子は居なかった。 奈月はこのことを辰巳に話すべきか、迷ったが、辰巳は見えないんだし、余計なことで惑わすのはよくないと思い、やめた。 「な、奈月」 名前を呼ばれてはっとする。辰巳が机をはさんで目の前に立っていた。・・・気がつかなかった。 「何」 「何って・・・あれだ」 頭を掻きながら、何か言いたげな顔をしている。奈月はお構いなしに、 「あれって何」 無表情で答えてみせる。なんだかんだ夏休みにあったけれど、学校生活に影響が出るほど奈月はモロくなかった。 逆に辰巳がモロくなったような気がすると、奈月は思っている。 「・・・奈月さ、俺に言うことない?」 「・・・は?」 沈黙が続く。辰巳は何ともいえない顔をして、 「別に、ないならいいけど」 そう言うと教室から出て行った。・・・何のことだろう。 奈月はぼーっと考えていたが、 ・・・何も言うことないよね? 結局わからなかった。
「あの子、やっぱり、僕が見えるんだ!人の子だけど綺麗な人だな・・・」 空中を漂いながら考える。 「あ、でも、さっきの男の人、誰かなあ・・・」 「恋人ね」 いきなり隣で声がして、空中でバランスを崩して数十センチ落下した。 「ヴィーリス?!何時からここに居たの?」 「さっきからよ。リート。アンタが歌の練習行ったっきり帰ってこないし。ところで、アタシの言いたいこと、わかる? そうね、一緒に練習しなきゃ!」 「それよりさ、イース、でもあの人たち仲悪そうだったよ?」 軽く話を受け流したリートに、ヴィーリスは腹を立てながら説明した。 「イースって呼ばないで!別にアタシ、東南東なんて名前じゃないわ! それにね、あれは絶対、そうよ!アタシは天使だけど可愛い女の子でもあるワケ。これはオチビチャンの君にはわからないでしょうけどね」 リートもむっとなる。 「なんだよ、チビって。双子だろ、僕たち。じゃあ君もオチビ・・・」 「まあ、そんなことは所詮、他愛もない音の集合体でしかないのよ」 手も足も出ない状態で溜まるこの苛立ちは何処へぶつければ良いんだろうかと、リートは常日頃悩む。 「さあ、練習、練習」 「ねえ、イース」 今度は真剣そうな声でヴィーリスを呼び止める。 「何?」と、今度はヴィーリスは腹を立てずに、逆にニヤりと笑った。
四時間目も終わり、あたりは給食の準備で数人の生徒が動き回っていた。そこへ女子のグループが奈月に近寄ってきた。 「ねね、奈月!」 「・・・な、何?」 いきなりハイテンションな呼びかけにすこしびくつく。 「夏休み、東京に旅行しに行ったんだって!?」 「・・・どうしてそういう話が?」 「やっぱり!!あのね、リッちゃんってね、ほら単身赴任の親がさ?」 ・・・だから、無駄な前置きはいらねえ、なんてことは口が裂けても言えないなあと思う奈月をよそに、会話を進める女子たち。 「それでね、リィーがね、東京に行ったときにちょうど似たような人を見たって言うの!東京駅で!!ほら、人ごみ多いからさ、見間違えでしょうって言ったんだけど。それが、辰巳君も一緒にいたとか騒ぐからさ!もしかしてって思ったんだけど?」 「嘘じゃないわ。だって、私ナッチィ見たよ?辰巳君と一緒にぃ」 女子軍団が奈月に攻め寄ってくる。奈月は慌てて反論してみせる。 「東京どころか旅行もなにもしなかったよ。そりゃあ、見間違えだって」 「えー・・・確かに二人だと思ったんだけどなぁ」 「ほら、そうだって言ってるじゃん。リィー超ウケるわ。ごめんね、なんかさー。じゃ、席戻ろうよー」 そう言うと女子たちは勝手に各々の席へ退却していった。奈月の内心、心臓破裂寸前で、どうしようもなくって、手を洗いに行った。 冷たい水で少し落ち着きを取り戻す奈月。真面目にバレなくてよかった。それに断じて旅行ではないのだ。断じて!! 再び勝手に慌てる奈月。それに比例して泡をこする手の動きが激しくなる。 「そんなに不味かった?」 声がして、横を見たら、隣の蛇口で辰巳が手を洗っていた。 「いや、不味いっていうかね・・・。君的にも不味いでしょ」 奈月はおどけて見せたが効果はイマヒトツだったらしい。 「俺的ねえ・・・。べ・・・」 「諸君ー、さっさと教室に戻りなさいー」 教師が廊下で大声を張り上げた。「あ、ヤベ」と辰巳が呟く。 辰巳は水を止めるとそそくさと教室へ戻っていってしまった。 「・・・べ?」 自分で繰り返し言って自分で焦った。 ──いや「べ」しか言ってないだろ、アイツ。何焦ってるんだ、自分。 落ち着け、自分。バカだろ自分。もはや、イッペン死のう、自分。 最後まで手を洗っていた奈月の顔が火照っていたなんてことは誰も知らない。
給食中、班員とは一言も口を利かずに黙々とコッペパンを食べる。 ── ♪ ・・・ お昼の放送は毎日やっているが、生徒たちは雑談のほうが大切なようで、放送を聴こうともしない。故に皆の雑音で放送は聞こえなくなる。 なのに、 今日は例外だった。声がかき消された。 大音量で、聴いたことの無い、歌が流れた。 どこか人間らしくない声は、 鋭くて、冷たくて、深い悲しみに満ちて、校舎中に響いた。 奈月はとたんに耳を塞ぐ。聴いてはいけないような気がした。 すぐに頭が痛くなって、何か、悲しい感情がこみ上げてきた。 許されたはずのあの思い出が鮮明に蘇ってきた。 他のクラスメイト、学校中の人々が次々に悲鳴を上げ始めた。 奈月も気がおかしくなって叫びそうになった。 直前、奈月の耳を塞いでいた手の上からさらに手が重なった。 はたと、正気を戻して、見上げると、辰巳がそこに居た。 「?!」 自分のほうはいいのか?と、問う間もなく、二人は慌てて教室からでた。 出る間際に辰巳が教室の放送音量を0にしていたが、奈月にはそんなことを見る余裕もなかった。 音が少し弱まった廊下にでて、奈月は崩れ落ちる。 「何。今の何?」 辰巳の手はもう無いが、このくらいの音量なら自分の手だけで十分だ。 けれど微量の音さえも奈月を不快な気分にさせた。 辰巳はポケットから音楽再生機を取り出して音量を調整した。 だからさっきは、手が余る余裕があったんだ、と勝手に納得する奈月。 「だからさっき言っただろ?!」 「?!」 いきなり怒鳴られ、『俺に言うことない?』先程の言葉が脳裏を横切る。 「お前、居たなら居たって・・・言えよ。マジ、ああ、死ぬかと思った」 辰巳も廊下の床に脱力して座る。 「・・・辰巳はわかってたの?いたって?!」 大声張り上げて聞く。そうしないと相手に聞こえないと思った。 「わかってたよ!!」 「え!!見えんの?何時から?!」 辰巳は確か、見えないはず。 「あの夏から!憑かれた後から!!何か、見えるようになったよ!! アズには笑われた!」 ・・・笑われた。アズらしい。 「じゃあ怒らなくたっていいじゃん!」 逆ギレしてみせる。辰巳はしばらく考えてから、 「だっ・・・。見間違いかなって。決心がつかなかったんだよ!!・・・うん。いや、俺も悪いから怒鳴れねえな・・・ごめん」 「え?何?!」 因みにこれはわざとである。 「一回しか言わねえよ!!」 また怒鳴られた。 「「あ」」 大音量で流れていた歌が止まった。 「とりあえず、放送室だ。行くぞ」 二人はダッシュで放送室に向かった。
「上出来ね。上手くなったじゃない」 ヴィーリスは宙を漂いながらオウムをみて言った。 このオウムは先程、生物室から拝借してきたものだ。 「まあね、朝から発声練習してたし」 そういう声はオウムのものなのだが、中身はリートである。 「それよりさ、こんなことして怒られないかな?」 「何よ。あのね、アンタはそもそも怖気づくのが早いのよ。良い?ようするに用が済んだら元に戻せばいいんだから、別にいいのよ」 「そ、そうだね。早く奈月ちゃん来ないかなー」 「何?奈月って言うの?」 「うん。さっきそう呼ばれてたよ」 ガタン。 「あら、じゃあその奈月ちゃんとやらが、お友達を連れて、きたわよ」
奈月と辰巳はほぼ同時に放送室に突撃した。目の前に居るのは浮かぶ女の子、一人とオウム、一羽。 オウムから、はみ出る、オウムの黄色の翼ではなく白い大きな片翼。 「奈月」 「・・・何か憑いてるね」 放送室まで来たのはいいが、どうすれば良いのか検討もつかない。 女の子のほうが口を開く。 「ほら!リート、挨拶しなきゃ!」 「え?僕から?こういうのって普通姉のイースが・・・」 「イース呼ぶな!あら、失礼。アタシ、ヴィーリス。で、このバカがアタシの双子の弟、リート。アタシたち歌い手なの。よろしくね!」 すごい勢いで喋ってくるので奈月はどうすればいいかわからず、ただそこに立ったまま。かわりに辰巳が口を開いた。 「君たち、何。何してんの?」 「あら、アンタもアタシタチが見えるの?意外ね、奈月ちゃんしか見えないもんだと思ってたけど。こんなに人に見られてていいのかな。まあ、いいや。アタシはちょっと今、リートの手伝いをしてるの」 「手伝い?」 奈月が思わず聞き返す。 突然オウムが大きく羽ばたいた。それから先程の少年リートが出てきた。 リートは半回転して飛び、一礼して、奈月にぐっと寄った。 「ねえねえ、友達になってほしいんだ!」 「ヤダ」 何を言うかと思えば。奈月は程々呆れ返った様子で即答してやった。 「「・・・え?」」 見事にハモった。奈月の即答にリートの何かが崩れた。 「え?何で?何で!!」 その一言一言に見えない波動が出てきて、奈月たちを襲った。 「ちょっと、リート、落ち着きなさい!!」 騒ぎ出す双子天使。 リートはまた歌いだす。奈月は慌てて耳を塞ぐ。 非常に悲しくなる歌。 「リート!むやみやたらに歌うなって、言われてるでしょう!!」 塞ぎ損ねた辰巳の血の気が引いた。 辰巳の膝が床につく。 「?!・・・っ、しっかりしてよ!」 辰巳と目線をあわせるが、辰巳のほうは焦点があってない。 「ああもうっ!」 慣れた手つきでヴィーリスはリートの鳩尾に拳を突き立てる。ぐっと痛そうな声をあげて、歌が止まる。リートを引っ張りながらヴィーリスは奈月を見て怒鳴る。 「なんでよ!!友達になるくらい、いいじゃない!!」 奈月はばっと立ち上がって、双子を睨んで言い放った。 「うっせえ!友達っていうのは、そーいうもんじゃないの!!」 辺りが静まり返った。・・・言葉が悪かったかなと後悔した。 「そ・・・そっか」 引きずられているリートが呟く。 「難しいね、友達って」 すこし声を震わせて何かを考えているような素振りを見せる。 「その通りだよ。全く、人が大量に居るこんな場所で何してるんだい、君たちは」 奈月は声のしたほうを、後ろを振り向いた。 「「ヘルツ兄さん?!」」 双子は声を張り上げる。夏休み、あの時の事件の張本人が、そこにいた。 「にっ、兄さん?!」 奈月も驚いてヘルツのほうを見る。 「慕われてそういう呼び方になってるだけだ。血はつながってない。 というか、そんなの無理、耐えられん」 ・・・そうですか。 「ああ、そうだとも。それよりお前たちがこんな場所で挽歌なんて歌うから大変なことになっている。明日の挽歌はなしだ。謹慎処分でも喰らっておけ。ガキ共」 「「えっ、ええええええっ!!」」 涙目になってヘルツを精一杯見つめる双子。いや、確かに可愛いけど、ここは謹慎処分でもなんでもなってくれないと、奈月も納得がいかない。 「そうそう、学校の人らはすっかり忘れて今は寝てるよ。まあ、あと数分もすれば起きるけど。全く俺に感謝してもしきれないね」 「は・・・はあ」 全くスゴイ双子だったこと。 「・・・スゴイって言うかむしろ俺は哀れんでいるよ。 こいつらは、挽歌の天才って呼ばれてる双子でね。だから朝から晩まで挽歌の練習だよ。だから世間様っていうのを知らないんだな。はあ・・・、世話するほうにもなってほしい」 ため息をつくヘルツを見て、奈月はクスりと笑った。 それから大変なことを忘れていたのに気がついた。 時計を見る。五時間目開始まであと五分。 辰巳は尚もぐったり項垂れている。 「ちょっと、それよりヘルツ!辰巳なんとかしてよ。さっき歌モロに聴いちゃったんだよ?!」 ヘルツは途端に嫌って顔。だが結局は渋々と目を閉じる。 それから三秒くらいあとに、辰巳ははたと正気に返った。 「?!」 目の前のヘルツを見て辰巳は数歩下がった。あ、もしかして初対面。 「よいしょっと」 ヘルツはそう言うと双子を担いだ。 「じゃ、まあ諸々はあとで説明でもしておけば?それから、辰巳、何時までも過去引きずってるとは、器の小さい人間だな」 そういうとヘルツは飛んで、壁を通り抜けて何処かへ行ってしまった。 最後に背負われたリートが奈月にむかってニッコリ笑って小さく手を振っていた。 全く、とんだ災難だ。昼休みが丸々潰れるとは。・・・と、突然、 ―― ♪ ・・・予鈴が鳴った。 「やばい、辰巳、授業!授業!!」 「え?あ!ああ」 二人は猛ダッシュで教室へ帰っていった。 放送室には一羽のオウムが何時までも旋回していた。
放課後は諸々を辰巳に話すべく二人で下校した。 「はあ、じゃあ、あれが俺に憑いてた奴・・・」 ぽつりと呟いた。それに奈月はただ頷いて、 「それから、何時までも引きずってるって何?まさか夏休みの・・・」 「っ。だってさ、あれ、本当にいいのか?あれで解決?ちょっと会話したくらいで、許してもらえるだなんて思ってなかったんだよ、俺は。・・・だっ、だってさ、脅迫、脅迫だぜ?」 「いや、べつに脅迫がナンボだし。むしろ、私のほうが謝っても謝りきれない感じだけどね。実際、ちょっとアズに許してもらったからって、周りは変わらないのに、調子のってさあー、自分、最低人間だから」 道端に落ちてた石をなんとなく蹴って飛ばした。あんまり飛ばなかった。 「違う」 「え?」 辰巳がキッパリと否定した。 「違うんだよ。何か、そうじゃなくってさ。俺はお前のどこが嫌だったかって、昔あんなことがあったのに今を飄々と生きてただろ。まるで忘れてたみたいに。だからムカついたんだ」 「・・・」 「でも、実際違ったろ。自分を責めこんだあげくの果てだったんだろ。 そんなことも知らないで、一人で殺意沸かせてて、バカだろ・・・」 しばらくの沈黙の後、響いたのは辰巳の痛そうな声。 なつきが軽いパンチをお見舞いしてやったからだ。 「何すんだよ」 辰巳がなつきを睨む。なつきはそれこそ飄々として、 「何って、ただのパンチ。お前、バカ。本当にバカ。シケるからやめて」 「あのな、ふざけ・・・」 「ふざけんな?ふざけてんのはどっち。あのね、終わったことなの。何時までも私が悪いー、俺が悪いーって、バカみたい。終わり。これはもう終わり。じゃあ、何?辰巳はまだ何か思ってることがあるの?」 辰巳はしばらく間をあけてからしぶしぶと言った。 「わかった。じゃあ、夏休みのこと、は解決したことにする」 そういうと照れくさそうに微笑んだ。アズとどことなく似ている。 それからまた二人は通学路を辿って下校する。 |